叱り方がわからないパパが試行錯誤した話

子どもへの叱り方で悩んでいる。という話を周りのパパにすると、だいたい「わかる」と言われる。でも「どうしてる?」と聞くと、みんな口をつぐむ。正解がわからないのは、みんな一緒らしい。

これは、私が試行錯誤した記録だ。まだ完成形ではないけれど、今のところうまくいっている方法をまとめておきたい。


🎯 クエスト名:叱る基準を決めろ

達成条件:子どもが「挑戦できる範囲」を理解している状態を作る


子どもが「顔色を窺う」ようになってしまった

最初の頃、私は子どもの行動の多くに口を出していた。

靴を脱いで投げ飛ばす。靴下は廊下に脱ぎっぱなし。食事中は立膝。おもちゃは出しっぱなし。ショッピングセンターでは奇声をあげて走り回る。ご飯よりお菓子を要求する。

大人の基準で考えれば、どれも「ちゃんとしてほしい」行動だ。だから一つひとつに反応していた。

そのうち、気になることが起きた。

子どもたちが、私の顔色を窺うようになったのだ。何かするたびに、こちらをちらりと見る。「これは怒られる?」「これはセーフ?」という視線だった。

それが、一番きつかった。

自由に動き回っていた子どもが、親の反応を確認しながら行動するようになってしまった。そうじゃないだろう、と思った。子どもは本来、失敗しながら学ぶものだ。「怒られるかどうか」を基準に行動するようになったら、挑戦する機会そのものを奪ってしまう。


本を読んで、叱り方を設計し直そうと決めた

そのころ、小児科医で脳科学者の成田奈緒子さんが書いた『気づいたら、親と同じことをしている』を読んだ。

タイトルを見た瞬間、「あ、俺のことだ」と思った。

著者が突きつけるのは、耳の痛い事実だ。「親が”よかれ”と思ってかけている言葉のほとんどが、子どものやる気を削いでいる」と言い切る。「友達と仲良くしようね」「頑張って勉強するのよ」——そういう言葉には親の願望が混じっていて、子どもは知らず知らず「親の期待に応えるため」に動くようになる。関わりすぎること自体が、子どもの自信とやる気を奪っているというのだ。

読んでいて、ひやっとした。

「自分はどう叱うか」を決めていなかった。その場の感情と、うっすら残った自分が育てられた記憶で、なんとなく対応していた。それでは子どもへの一貫したメッセージにならない。

「軸は3本でいい」という言葉が刺さった。シンプルに絞ることで、子どもにも迷わず伝わる。そこで、自分なりの3つを決めることにした。


「本当に怒るべきこと」だけ怒ることにした

考えた末に決めたルールはシンプルに3つだ。

  1. 人を傷つけること(叩く、噛む、暴言)
  2. 危険なこと(車道に飛び出す、高所から飛ぶ)
  3. 嘘をつくこと

「叱ることを減らす」というより、「本当に怒るべきことを明確にする」という感覚に近い。基準が曖昧だと、子どもは「どこまでやっていいか」がわからない。怒られる基準が見えないまま怒られ続けると、子どもは挑戦より回避を選ぶようになる。それは避けたかった。

この3つなら、感情が動く前に自然と「これはダメだ」と言える。声のトーンも変わる。子どもにも伝わりやすい。

それ以外のことは、怒らない。ただし、「何も言わない」わけではない。


怒らないけど、ちゃんと伝える

3つのルール以外は、穏やかに、でもきちんと説明することにした。

大事にしていることが2つある。

① 子ども目線のたとえ話を使う

先日、長男(4歳)が靴を投げ捨てるように脱いで廊下に散らかした。以前なら「片付けなさい!」と言っていた場面だ。今はこう言う。

「靴が痛い痛いって言ってるよ。長男くんも、パパの背中から落とされたら痛いよね。ちゃんと靴に謝って、両足をそろえて床に置いてあげて。」

するとすんなり従う。靴に謝るというプロセスが面白いらしく、わりと真剣に「ごめんね」と言ってから揃えている。なんならちょっとかわいい。

怒鳴って従わせるより、なぜそうすべきかが子どもの中で腑に落ちた方が、次も同じことができる可能性が高い。

② 具体的な行動を伝える

「やめて」だけでは不十分で、代わりに何をするかまで言い切ることが大事だ。「靴を投げるのをやめて」ではなく「両足をそろえて床に置いて」。禁止だけでは子どもは次の行動がわからない。


「ちゃんと」は子どもに伝わらない

もう一つ気づいたのは、抽象的な言葉は子どもに届いていないということだ。

「ちゃんと座りなさい」「きれいに食べなさい」「そっと置きなさい」——大人には通じるが、子どもには伝わっていない。「ちゃんと」の意味するところを、子どもはまだ知らないのだ。

だから子どもは子どもなりの「ちゃんと」を実行する。そして怒られる。自分なりに頑張ったのに怒られると、何が悪いかわからず混乱する。これが積み重なると、自信を失わせてしまう。

食事中に立膝をついている長男には、今はこう言っている。

「膝をついて食べるとお行儀が悪いって思われて、みんなに『長男くんって赤ちゃんみたいだね』って言われちゃうよ。長男は赤ちゃんじゃなくてお兄ちゃんだよね?じゃあ足を下ろして、椅子にまっすぐ座ろう。」

長男は「赤ちゃんだね」と言われることを非常に嫌がる。効く。毎回効く。

「立膝をやめて」ではなく「足を下ろして、椅子にまっすぐ座る」まで言い切る。抽象語を使わず、動作レベルまで落とし込む。それだけで子どもは動ける。


何度繰り返してもいい

こんな話をすると「毎回そんなに丁寧に説明できない」と言われることがある。正直、気力がある日ばかりではない。疲れている夜は短くなることもある。

でも、次の日また同じことをしたら、また同じように言えばいい。

そもそも、大人だって数回指摘されただけで行動が変わるかというと、そうじゃない。職場で上司に「報告は早めに」と言われて、翌日から完璧にできる人はほとんどいない。何度か言われて、失敗して、じわじわと習慣になっていく。それが普通だ。

子どもも同じだ。むしろ、まだ脳の回路が育ちきっていない分、大人より時間がかかって当然だとも言える。

ここで大事なのは、「何度言っても直らない」ではなく「時間をかけて覚えていくのが当たり前」と思えるかどうかだと思う。この前提がずれていると、注意する側は「なぜ直らないんだ」とイライラするし、される側は「また怒られた」と萎縮する。お互いにとってしんどい構図になる。

私が意識するようにしたのは、「自分が注意される側だったら」と想像してから口を開くことだ。靴を投げ捨てたことを怒鳴られる側の気持ちを、一瞬でも考えてみる。それだけで、言い方がずいぶん変わる。

子どもだからといって、感情を持たない存在ではない。一人の人間として、尊重されながら教えてもらいたい気持ちは、大人も子どもも変わらないはずだ。


まとめ

試行錯誤を経て、今の私の叱り方はこうなっている。

  • 本当に怒るのは3つだけ(人を傷つける・危険・嘘)
  • それ以外は穏やかに、理由を説明する
  • たとえ話を使って子ども目線で伝える
  • 「ちゃんと」は使わない。何をするか具体的に言う
  • 何度繰り返してもいい。それが普通だと思う

今日も長男は立膝で食べようとして、同じ会話をした。次男は靴を投げた。

でも最近、気づいたことがある。

長男が自分から靴を揃えていることが増えた。何も言っていないのに、玄関に行くとちゃんと並んでいる。それがいつからだったか、正確には思い出せない。気づいたら、そうなっていた。

立膝も、毎食ではなくなってきた。以前は食事のたびに同じ会話をしていたのが、最近は1週間に数回になった。完全になくなったわけじゃない。でも確実に減っている。

そういう小さな変化が、少しずつ積み重なっている。


最後に:改めてこの本を

今回の試行錯誤のきっかけになった本を、改めて紹介しておく。

気づいたら、親と同じことをしている(成田奈緒子著・幻冬舎)

著者は小児科医で脳科学者。1万人以上の家族を診てきた経験から、「親は自分が育てられた方法を無意識に繰り返す」「叱りすぎは脳科学的に逆効果」という話を、難しい言葉なしに読ませてくれる。

叱り方に限らず、育児についてなんとなく不安がある、でも何が問題なのかもよくわからない、そんな人にこそ読んでほしい一冊だ。「何かが間違っているのかもしれない」という漠然とした感覚に、言葉を与えてくれる本だと思う。


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