病院の廊下でテニスボールを手に持ち、分娩室の前で静かに待つパパのイラスト

出産立会いに全力を尽くした。それでもパパにできることは少なかった。

ポケットにテニスボールを1個入れて、分娩室に入った。

それがパパにできる数少ないことの一つだった。出産は妻がするものだ。医療的なことはお医者さんと助産師さんがやる。パパにできることは、調べてみると思ったより少なかった。

でも「少ない」は「ない」ではなかった。

🎯 クエスト名:長男誕生——パパにできることを全部やる

達成条件:その場にいて、やれることをやって、最後に「ありがとう」を言う

10か月前から動いた

妊娠が発覚したのは、乗船直前のことだった。

船乗りという仕事の性質上、出産予定日に合わせて下船できる保証はない。だからすぐに人事に連絡を入れた。予定日まで約10か月あった。

「予定日の前後で休暇に入れるよう調整してほしい」——そう伝えておくと、スケジュールへの組み込みは問題なかった。

問題は、その後だった。

通常の休暇3か月に加えて、育休をさらに3か月取りたいと申請した。合計半年だ。会社の制度上は取れるはずだった。だが担当の人事から返ってきた言葉は、正直驚くものだった。

「半年も育休をとって、何をするつもりですか?」

育休中にすることは育児と家事と妻のサポートだろう、と思いながら「わかりました」とだけ答えた。面談が必要だと言われ、「育休中に何をするか、具体的に考えてきてほしい」と言われた。

ネットで調べ、先輩にも話を聞き、回答を準備して2回目の面談に臨んだ。

ところが、担当者は開口一番こう言った。「全然大丈夫だよ、育休申請書を提出してね」。

またびっくりした。前回の警戒はなんだったのかと思いながら、育休の申請が無事に通ったことにほっとした。

結局、船のスケジュールが遅れて、下船できたのは出産予定日の1週間前だった。間に合うかどうか、ぎりぎりまで不安だった。

まず、妻の話を聞いた

下船して真っ先にしたのは、妻の話を聞くことだった。

私が乗船している間に、妻は切迫早産になりかけていた。1か月ほど入院していたという。

原因はストレスだった。退職後に新たな挑戦として始めていたプログラミング教室で、最終課題を根詰めて取り組んでいたらしい。自分ではコントロールできていたつもりだったが、体は正直だったようだ。

そばにいられなかった。その悔しさと申し訳なさを抱えながら、妻の話をとにかく聞いた。つわりのしんどさ。おなかが大きくなることで変わった生活。入院中の孤独。

聞けば聞くほど、命の重みが現実的になっていった。父親になる覚悟は、子どもを迎えると決めた時点でしていたつもりだった。でもそれは、覚悟という名の「気持ちの準備」に過ぎなかった。妻の話は、それを壊していくようだった。

不安になった。

不安になったので、調べまくった

不安になると、人は動く。私は調べた。

出産前のパパの役割。出産中に夫がすると妻が喜ぶこと。新生児期の育児。出産後のガルル期。一つ調べるたびに知らないことが出てきた。

「自分はこんなにも無知だったのか」と思い知らされた2週間だった。

調べた結果、出産前に準備しておくものも整理できた。退院時に車で赤ちゃんを連れ帰るためのチャイルドシートとベビーカー。外出時の授乳に備えた授乳ケープ。新生児から使える抱っこ紐。どれも「産まれてから準備すればいい」では間に合わない。

調べたことは無駄にならなかった。

当日、パパにできることをやった

長男の出産は促進分娩だった。自然に産気づいて生まれるのを待つのではなく、薬やバルーンを使って分娩を誘発する方法だ。突然の陣痛でばたばたするリスクを減らし、ゆとりを持った出産をするためのものだという。

分娩室に入ると、妻の陣痛は少しずつ強くなっていった。本陣痛が始まると、妻は本当に苦しそうだった。

男にできることは本当に少ない。

私はとにかく近くにいた。声をかけた。テニスボールで腰を押した。

陣痛には波がある。叫ぶしかできないほど苦しい時間と、少しましになる時間が交互にくる。ましになる合間に、水を用意した。

あとで妻から聞いたところ、テニスボールも、水も、助かったらしかった。

いざ出産の段階になると、妻は分娩台へ移された。助産師さんとお医者さんが阿吽の呼吸で動く。妻からは事前に「動画を撮っておいてほしい」と言われていたのでスマホをセットしたが、「絶対に足元には来るな」と何度もくぎを刺された。

妻の頭側に立って、「頑張れ、ママならできる」と声をかけ続けた。

ただ、あとで妻に聞いたところ、この声はまったく届いていなかったらしい。それどころではなかった、とのことだった。

分娩室に入ってから3時間ほどで、長男は生まれた。

産声を聞いた瞬間のこと

おなかから出てきた瞬間は、シートが張られていたので見えなかった。

産声が聞こえた。

鳥肌が立った。今でも覚えている。

ついに父親になったという重圧のようなものと、妻も子も生きていることへの安堵が、同時にやってきた。泣いているパパもいると聞いていたが、私にはそんな余裕はなかった。

頭の中で繰り返し唱えていた呪文があった。

「お疲れ様。頑張ってくれてありがとう」

どれだけパニックしていても、これだけは絶対に最初に言う。下船してからずっと、そう決めていた。

混乱しながらも、呪文通りに動いた。

パパにできることは少ない。でも少ないからこそ、全部やる。

立会いを終えて思ったのは、パパにできることは本当に少ない、ということだった。

痛みを代わることはできない。産むことはできない。医療的なサポートもできない。

でも「少ない」は「ない」ではなかった。

そばにいること。声をかけること。調べておくこと。テニスボールを持っていくこと。水を用意すること。最後に「ありがとう」を言うこと。

どれも小さなことだ。でも、妻から「助かった」と言ってもらえた。

10か月前から動き、面談を2回受け、ぎりぎりで帰ってきて、調べまくって当日を迎えた。全部やった、と言い切れるかどうかはわからない。でも、できることをやり切ったと思える出産だった。

類似投稿

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です